学会ホームページの学術情報センターへの移管に当たっての御挨拶

文責:日本教育社会学会会長 潮木守一

1996年9月17日

 

 このたび、日本教育社会学会ではそのホームページを、学術情報センターの提供するAcademic Society Home Villageに掲載することとなりました。このことによって、我が学会も、より安定したサイトから継続的に情報を発信できる体制を確保できるようになり ました。

 

 振り返ってみますと、我々の学会がはじめてホームページを作成し、情報を発信するようになったのは、1995年10月のことでした。その当時、学会とし てのホームページを作成・発信するといっても、どこのサーバを利用したらよいのか、まったく見当がついておりませんでした。そこでごく実験的な試みとし て、小生の勤務先である名古屋大学大学院国際開発開発研究科のサーバの一部を借用し、そこから発信を開始いたしました。

 

 その当時、名古屋大学の国際開発研究科では、そのサーバの利用方針については、まだ確たる方向が定まっておりませんでした。果たして小生がたまたま会長 を引き受けているという理由だけで、研究科の公的な資源を利用してよいものか、当然のことながら議論のありうるところでした。しかし幸いなことに、その当 時の名古屋大学国際開発研究科の雰囲気はきわめて開放的で、どんどんやってみて、やりながら考えてゆけばよいという、大変建設的なものでした。そこで小生 も「論よりも、まず実行」という方針にしたがって、「日本教育社会学会ホームページ」を立ち上げた次第です。

 

 しかしながらその反面では、このホームページの将来にいくつかの不安を抱いていたことは事実です。つまり、国際開発研究科として発信しなければならない 情報は、これからどんどん増えてゆくことだろう、サーバにも物理的限界がある以上、いつかは満杯になるだろう、しょせんは仮住まいの身である以上、いつか は出てゆかねばなるまい、それに第一、私自身が定年まであと数年しか残っていないではないか、こうした一連の不安・心配です。

 

 しかしこうした心配・不安だけを上げ連ねていっても、そこから将来の展望が開けてくるわけではありません。そこで「これはあくまでも小生が定年を迎える までの暫定的な実験、それまでには世の中も変わることだろうし、その時はその時でまた考えればよい」と心に決めてホームページからの発信を開始した次第で す。

 

 ところがちょうどその頃、耳寄りな話が飛び込んできました。それはほかならぬ、学術情報センターがいろいろな学会のために「場所貸し」をしてくれるとい う話です。これこそ我々が求めていたものです。先ほど小生が「そのうちに時代も変わるだろう」と思っていたと申しましたが、その具体的な例がこのようなこ とでした。学術情報センターがこうした労をとってくれるならば、我々の学会にとっては、これほど心強いことはありません。実をいいますと、名古屋大学国際 開発研究科のサーバは、一部の人達の犠牲的、献身的な努力によって運営・維持されておりました。その苦労がいかに大きなものかは、筆舌に尽くせないものが あります。それらの人々の努力・自己犠牲を垣間見るたびに、これらの人々にもし万が一のことがあったら、我々の学会のホームページはどうなるのだろう、そ ういう心配がつねにありました。

 

 しかしこうした心配も学術情報センターという、頼り甲斐のある「大家さん」がついていれば、しないで済みます。我々は安心して、大船に乗ったつもりで、そのシステムを利用させてもらうことができます。こういうことで、今回の移管になった次第です。

 

 おそらくこの学術情報センターのシステムも、これからいろいろな形で進化・変化して行くことでしょう。我々利用者としては、ハード面の維持管理は万事学 術情報センターにおまかせして、我々はもっぱら、このシステムをいかに活用するか、その創意工夫に全エネルギーを集中できることになりました。いいかえれ ば、これからの我々の課題は、このシステムをどれほど効果的に活用できるかに絞られることとなりました。このシステムを使って、従来型のシステムでは実現 できなかった研究上の交流、学会運営上の改革を実行できるか、それが我々に課せられた課題です。どうか会員各位も良いアイディアがありましたら、積極的に 御提案頂きたく存じます。小生は小生なりに、これまでもいくつかの提案、呼びかけを行なってきております。たとえば1996年1月4日づけの「電子ジャー ナル発刊の呼びかけ」(ご覧になりたい方は、ここをクリックして下さい)は、その一例です。会員各位からの新鮮な提案をお待ちもうしております。以上をも ちまして、学術情報センターへの移管に当たってのご挨拶といたしたく存じます。